ここはどこ、わたしはだれ

辞書って、すてらんないですよね。

部屋に遊びに来ていた友人が、本棚をながめながらつぶやいた。

わたしの国語辞典は、実家に昔から置いてあったもので、もとはお母さんが使っていたもの。

高校生のときに、居間の本棚にあったものを自分の部屋に持ってあがり、そのまま京都に連れて来てしまった。

文庫本ほどの大きさで、開くと両掌への収まりがとてもよい。そのままノド(ページとページの谷間の部分)に鼻をもっていくと、古い紙のにおいがする。

10年前にも、あの部屋で同じようなことをしてたような気がする。

 

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ある朝。いつも即席で飲んでいるコーヒーを、頂きものの豆を使って淹れてみようと思い立つ。

時間をもてあましていた大学生の頃に挑戦したことがあり、一通りの道具は手元にそろっているのだ。

ジッパ付きの袋に入った豆は黒々としていて(深煎りだそう)つやつや。こんなに強くてかわいい形だったのか、と一粒つまんで独り言ち。

適当な粗さで挽き、湯をそそぐと、そそいだそばからむくむくと膨らむ。

むくむくの部分からかぐわしい香りが、ゆげと一緒に立ちのぼる。

ひと口目を飲むまでに味わえる、淹れるひとだけのお楽しみだなあ、と思う。

とつぜん知識欲でいっぱいになった。もっとコーヒーを知りたい、もっとコーヒーについての文章を読みたい。

わたしは本棚の中から雑誌が並ぶスペースから、20041月発売のクウネル「コーヒーはいかが?」の文字面をみつけて、ひっこぬく。

クウネルは、わたしが高二の時から愛読している雑誌で、持っていない号を古本屋で探しつつ、ちまちまと買い集めてきた。

引っ越しのたびに手放そうか悩んで(本棚の一段ぶんを占領しちゃうし)、でもせっかく集めたのを手放せず、今も手元にある。

 

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最近。素敵な人に出会ったり、誕生日に広島から友達が会いにきてくれたり、居酒屋で知らない人と飲んで喋って「こんな愉快で楽しいことがあんのだねえ」と気づいてしまったり。

心を強くゆり動かされることが多すぎて心がつかれたのか、自分が本来好きだったことがなんだかわかんなくなっていた。

読みたかった小説を読んでもすぐ飽きちゃったり、文章もかけなくて。誰かといると楽しいのだけど、一人になると何にも熱中できない自分に虚無感でいっぱいになっていた。

 

でも、いま。わたしのものづくり、ものを考えるときのお手本にしてきたクウネルを読み返して、また、コーヒーみたいにむくむくとやる気がわいてきた。

クウネルはわたしの辞書だな、とよくわかんないことを思った。何かに迷ったり、知りたいことがあったら、辞書で見出し語からことばを探し出すように、背にあるそれぞれの号のテーマから目に止まったものを手に取る。その時のわたしに必要なヒントがあったりなかったりする。

生きてると何が起こるかわからなくて、何もかも初めての出来事でむつかしいけれど。なるべくわたしはわたしでありたい。